六騎塚 北宿 別所町 姫路市
南北朝時代の延元元年(1336)児島高徳の父範長主従6人の自害を弔って建立したと伝えられる。亀趺(きふ)とよばれる亀形の台上に碑が建てられており正面に「備後守児島君墓」裏に「嘉永三庚戌年五月十九日左和田清左衛門範一建之」と刻されている。『太平記』巻16によれば、延元元年足利尊氏が大軍を率いて九州から東上してくるのを備後守範長が迎え撃ったが、戦に敗れ、最後に主従6騎となり、阿弥陀宿の辻堂で自害したという。  平成11年9月   姫路市教育委員会