一の谷敦盛卿之墓 一ノ谷町4丁目 須磨区 神戸市
この五輪塔は花崗岩製の総高4m近い堂々たるもので、中世の五輪塔としては石清水八幡宮五輪塔(京都府八幡市)に次ぎ、全国で2位の規模を誇る。(中略) この付近は源平−の谷合戦場として知られ、寿永3年(1184)2月7日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、“敦盛塚"と呼ばれるようになった。このほか、鎌倉幕府の執権北条貞時が平家一門の冥福を祈って、弘安年間(1278〜1288)に造立したなどの諸説がある。   以下略  平成11年3月  神戸市教育委員会