関守稲荷神社・須磨の関跡 関守町 須磨区 神戸市
須磨の関の由来
平安末期の歌人源兼昌が 
「淡路島かよう千鳥の鳴く声にいく夜寝ざめぬすまの関守」 と詠じ、それが小倉百人一首等にとリ上げられた。市バス須磨駅前の停留所から東方百メートル暗渠になってしまった千森川と旧西国街道の交叉する地点に明治初年土中から屈り出されたという1メートル余りの石標がある。一面に「長田宮、側面に川東左右関屋跡」と刻まれている。この碑面の出土地点からみれば今の関屋跡ともいわれている関守稲荷神社の地点とは大分はなれていて少なくとも千森川の東側にかっての関屋跡(櫓台)といわれるところが一時期あったということになる。須磨の関がいずこにあったかというと諸説まちまちである。又海関であったか陸関であったかも不詳である。海陸両用であるとの説もある。須磨観光協会