平重衡とらわれの松跡 須磨寺町1丁目 須磨区 神戸市
寿永3年(1184)2月7日源平合戦の時生田の森から副大将平重衡は須磨まで逃れて来たが源氏の捕虜となり土地の人が哀れに思い名物の濁酒をすすめたところ重衡はたいそう喜んで
「ささほろや波ここもとを打ちすぎて 須磨でのむこそ濁酒なれ」
の一首を詠んだ。 のち鎌倉に送られ処刑された