源平合戦勇士の碑 新湊川畔 五番町 長田区 神戸市
この附近は、もと小兵六池といわれていた。寿永3年(1184)源平一の谷の合戦で討ち死にした平通盛、源氏の木村源吾重章同じく猪俣小平六則網(平盛俊を討ち取った)らの碑が、この附近の西国街道に面してあった。後、長田区明泉寺附近で討ち死にした平知章の碑をここに移し、敵昧方のへだてなく源平勇士の碑としてあわせ弔ったといわれ、つわものどもの夢の跡といった姿である。 これらの碑は、道路拡幅のためたびたび移転したが最近現在地に落ちついたものである。

平知章について
生田の森の大手を守っていた大将軍、父知盛の危急を救って自ら討たれ、家臣監物太郎頼賢も知章を救おうとして、ともに明泉寺附近で戦死した。 享保年間(1716)に並河政所が知章を孝子として顕彰するため碑をこの地に移したと伝えられている。昭和46年2月神戸市教育委員会 東尻池財産区管理会  平成6年3月  長田区役所