西国街道兵庫柳原惣門跡 西柳原町 兵庫区 神戸市
西国街道は、近世になってからは、西から来れば、須磨・長田方面から現在のJR兵庫駅の北を通り、西柳原町の蛭子神社と福海寺にはさまれる位置あたりで兵庫の町にはいる。 西国街道を通って兵庫の町に出入りする場所、即ち西の柳原口と東の湊口には惣門が設けられていた。 柳原惣門が最初に設置された時期は、兵庫城の築城に伴う外郭の土塁(外輪堤・都賀堤)の構築時である天正8年(1580)頃に、その関門の一つとして設置された可能性が高い。城は、現在の中ノ島あたりに主郭を置き、周囲にこの外郭の土塁と堀を設け、内側は郭内として兵庫津のまち全体を城下町とする縄張りとなっていた。即ち、兵庫津の外郭は総曲線(総構)と考えられ、その曲輪の門として惣門と称されたのではないかと推測される。この門は、明治8年外輪堤(都賀堤)とあわせて撤去された可能性が高い。 なお、平成13年度に実施した柳原惣門調査会による調査と、平成14年度に実施した埋蔵文化財調査(兵庫津遺跡第29次調査)の発掘結果を参考として推定復元図を作成した。 平成15年12月吉日  神戸市 岡方協議会