西国街道兵庫湊口惣門跡 みなと八幡神社 兵庫区 神戸市
 西国往還に設けた兵庫の出入口の惣門である。東より来る西国往還は相生橋より相生町を経て、市電気局前に来り、進んで此の惣門を入り、兵車津の湊・江川・木戸・木場・小物屋・北仲の諸町、今の所謂兵庫本町を進み、南仲町今の神戸商業銀行の前を右折し、小廣・神明・逆瀬川・東柳原・西柳原の町々を過ぎ、柳原口にあった柳原惣門を出て、斜めに今の長田交叉点に出て、西代を経て須磨に向かった。
 兵庫の惣門は天正年間、池田信輝が織田信長の命によって、花隈城を攻略し、その功によりて兵庫を治し、城を築く。 其時、湊口・江川口・永澤口・三川口・関屋ロ・皆関門番所を設け、市中にも宮内・匠・松屋・魚棚・島上の諸町に、中濱門として番所を設けたが、徳川時代に入り、青山氏がの地を領した時悉く之を破却し、只湊ロ・柳原口の両門を残した。 古図によれば惣門内には何れも番所があった。更に此番所の傍に高札があったが、幕末の地図によれば門外左側に高札場が移転している。これ門の修築に当たり番所を廃し、高札場を門外に移したものと思料する。  昭和四年十二月 岡久殼三郎・福原潜三郎著 「神戸古今の姿」抜粋 昭和61年10月吉日 神戸市 岡方協議会