生田神社 下山手通2丁目 中央区 神戸市
生田神社は日本書紀に、神功皇后の新羅遠征の帰還の途、船が進まなくなったことから祀られた由緒ある神社です。源平一ノ谷合戦の際、平家軍はこの生田の森を東の城戸として、生田川に逆茂木を並べて陣を張り、平知盛を大将として源氏の範頼軍を迎え撃ちました。境内には梶原源太景季(かげすえ)が咲き誇る梅を箙に挿して奮戦したという「箙の梅」「梶原の井」また武蔵坊弁慶が義経の代理として参拝した折に奉納した竹などが史跡として残されています。