旧西国街道 案内板 生涯学習支援センター脇 吾妻通4丁目 中央区 神戸市
この東西へのびる道路は、かつて西国街道と呼ばれていました。
 西国街道は、西暦701年の大宝律令に端を発し、古代には山陽道と呼ばれ、京の都と九州の太宰府を結ぶ主要幹線として整備きれました。以後、畿内〜九州間の陸路として栄え、江戸時代には西国街道と呼ばれるようになりました。
 西国街道は現在に残る道筋を使ってその跡をたどることができます。京都から現在の国道171号沿いを進み、西宮から海岸沿いを芦屋の打出まできた街道は、ここで内陸部を進む大名行列などに利用された「本街道」と、海岸沿いを進む庶民の生活道路として利用された「浜街道」に分かれ、生田筋で合流していました。
 下の地図は、1923(大正12)年頃のこの地域の状況を表しています。赤く色付けた道がそれぞれ本街道、浜街道です。当時、阪神電鉄が岩屋駅以西でも地上を走り、本街道沿いを三宮方面に走っていて、ここ春日野商店街と本街道の交差点には、春日野駅があったことが分かります。また、神戸市電も春日野駅から南下し、北本町、南本町で浜街道に合流し、三宮方面に走っていたことが分かります。古来より、主要幹線として重要な役割を果たしてきた西国街道が、これからも地域のシンボルとして地域の発展に寄与していくことが期待されます。