宮水発祥の地 久保町 西宮市

「百の蔵から歌声もれる いつものどかな酒の町」  戦前の西宮音頭は酒の町西宮をこんな風に歌いました。今次の大戦で酒蔵の大半が焼失、さらに技術革新が酒造りを大きく変え、鉄筋コンクリートの酒蔵の出現で酒の町の風情も変わりました。しかし、灘の名酒のいのちともいえる宮水は変わることなく宮水地帯に湧き、それぞれの井戸場から汲み出されて灘の酒蔵に送られます。この宮水は先年環境庁選定の日本名水百選に選ばれました。
 宮水は六甲山系の清冽な水が地下に浸透して伏流となり`風化堆積した花崗岩の細砂層を流れヽこの地域の地下に埋もれている貝殻層の影響を受け、カルシウムや、リン成分を含有するというのがその成因説である。宮水の湧出地域は、広範囲にわたっていたが、相次ぐ天災などによって、現在ではこの周辺地域に限られるようになっている。 宮水を用いた酒造の起源は古く、天保年間西宮の雀部市右衛門、魚崎郷山邑太左衛門が時を同じくして、宮水が清酒醸造に最透水であることを発見し以後、西宮の醸造業は宮水によって、「秋晴れのする酒」として発達し、杜氏の技術のもとに、天下に名声を博するに至った。 この宮水の呼び名は「西宮の水」を簡略化して呼ぶようになったのがはじまりと言われ、いまでは、環境庁より日本の名水百選に指定されており、今後ともこの貴重な宮水の保存に努めなければならない。