馬頭観世音 観音寺境内 高井 総社町 前橋市 群馬県
旧佐渡奉行街道(三国道)   中世この地域は青木庄高井郷といわれ北国と関東を結ぶ旧道があった。玉村から越後への往還を慶長6年(1601)設置された佐渡奉行や北国大名が通行したので佐渡奉行街道といわれた。寛永10年(1633)総社領主秋元氏が甲州谷村へ転封後、高崎藩主安藤出雲守重長により、高井の南西旧東覚寺付近にあった元屋敷を移し、高井(12)・植野(12)の24屋敷が、総社城下町(総社宿)の町屋にならい宿直しが行なわれた。総社宿と大久保宿の中間の往還として、伝馬宿ではなかったが、越後の諸大名(高田・長岡・村上・村松藩等)と沼田藩、佐渡奉行通行の節は、加助として総社宿や玉村宿へ人馬を差し出した。記録には人足6人と馬3匹を193文の駄賃で八木原の宿より大久保まで荷継ぎをしたとある。安永2年(1773)11月18日には高山彦九郎が通行、天明6年(1786)には「植野・高井など過ぎて惣社町に出ず・・・」と国学者の奈佐勝皋が「山吹日記」に記している。  平成18年3月吉日   総社地区史跡愛存会