光巌寺 総社 総社町 前橋市 群馬県
天台宗光巌寺の文化財
 慶長12年(1607)総社領主秋元越中守長朝侯は、総社城と城下町を完成させ、元総社の徳蔵寺を移し光巌寺を開基された。山号は秋元氏の姓、院号は長朝の江月院殿より、寺号は長朝の母の光巌院殿よりそれぞれつけられ、秋元山江月院光巌寺として秋元氏の菩提寺とした。本尊は釈迦牟尼如来像。寛永3年(1626)将軍秀忠より寺領御朱印高30石を賜り、慶安2年(1649)家光より徳蔵寺(隠居寺)の御朱印高16石を合わせ46石を支配してきた。 現在の建造物は本堂(文政3年)、秋元家御廟所(文化9年再建)、庫裡(文化10年の再建、長屋門(天明5年5月建立)、楼門(文化年間)・薬師堂・元三大師堂・鐘楼(明和9年)等が並び建ち、天台宗地方寺院(修行寺)として僧侶の養成の役目を果たしてきた。寺内の廟所前には県指定史跡の「カ田遺愛碑(安永5年(1776))、南北朝期の東覚寺七重多層塔・薬医門(市指定重文)の外10数点の文化財が収蔵されている。墓地には明応4年(1495)造立の石憧(市重文)が保存されている。   平成18年3月吉日     総社地区史跡愛存会