旧玉村宿町並・道路元標 日光例幣使道 下新田 玉村町 佐波郡 群馬県
国道354号は、江戸時代日光例幣使道と呼ばれ、日光東照宮に毎年朝廷から派遣された例幣使が通行した道です。朝廷は正保3年(1646)久しく中断していた伊勢神宮への例幣使の再興と併せて日光東照宮へも派遣を決め、同年四月以後慶応3年(1867)まで221回、毎年4月に派遣されていました。このように東照宮が朝廷から特別の権威と待遇をあたえられたことから、幕府も例幣使専用の通行路として、中山道の倉賀野宿で分れてから、玉村、五料を経て利根川を渡り、芝、木崎、太田を経由して壬生通りの楡木に至るまでの間を日光例幣使道と命名しました。明和元年(1764)には道中奉行の直接支配下に置かれ、当時の東海道等の五街道に次ぐ道路として整備・管理されるようになりました。その頃の玉村宿には本陣と問屋や旅籠が軒を並べ、五料宿には関所があり問屋や河岸もあって交通の要衝としての機能を果たしていました。また、例幣使のほかに日光参拝の公卿や大名をはじめ多くの人達の往来があり、たいへん栄えました。現在、玉村宿の往時を偲ぶものとしては、国重要文化財指定の本殿がある玉村八幡宮や問屋のたたずまいを残す井田家や、本陣が置かれた木島家に残る例幣使参議綾小路有長の歌碑等があります。  平成8年12月  玉村町教育委員会