御幣山(軍配山)古墳 角渕 玉村町 佐波郡 群馬県
当古墳は、昭和5年2月に発掘された。出土品は墳丘上の碑文に記されているが中国渡来の白銅製内行花文鏡二面をはじめ、勾玉管玉鉄鏃その他鉄器類がある。それらは東京上野の国立博物館に保存されている。中国渡来の内行花文鏡の出土は、当古墳の被葬者が、かなりの豪族であったことを推定させる。付近の烏川段丘上には相当数の古墳が存在していたが、それからの出土品には、本墳のようなすぐれたものがないことからすると、本墳の被葬者が、この付近一帯の有力な支配者的存在であったと推定できる。古墳の型式は円墳、主体部の型式は不明。後藤守一氏は築造年代を碑文に示されているが、いずれにしても古墳時代初期に属するものであろう。一名軍配山と呼ぶが、それは天正10年神流川合戦の折、滝川一益が本古墳を本陣として軍配をふるって全軍を指揮したために名付けられたものと伝えられている。  昭和51年4月  玉村町教育委員会