岡田記念館 嘉右衛門町 栃木市 栃木県
岡田嘉右衛門家由緒
当家は、現当主嘉右衛門氏をもって26代と閲すると伝えられる、本市屈指の旧家である。古くは武家であったが、主筋の衰亡により帰農し、近世初頭の慶長の頃この地に移住し、周辺の荒蕪地を開墾して当主の名に因み、嘉右衛門新田と称するものを経営大分限者となり、地域発展の基礎を築いた。これが現在の嘉右衛門町と云う地名の起こりともなる。以後代々の当主は嘉右衛門を襲名し、日光例幣使街道の開設盛行に伴って、この地の名主役本陣を勤めた他、名門畠山氏の領地時代には、近郷一円の陣屋も邸内に設けられた後に、その代官職も代行するなど、地区行政の面でも大いに寄与していた。一方歴代当主は、芸術文化的分野にも関心が深く、その愛護収集にも意を用いた。巴波川の船便や、街道の往還を通じて幾多の文人墨客の逗留があり、中央との文化の交流の、当地の一大拠点であったといえよう。なかんずく明治22年、我国画壇を代表する不世出の大画家、富岡鉄斎の来訪があり、特別の交誼が結ばれたことは特筆すべきものである。