司馬遼太郎記念碑 佐野駅南口 若松町 佐野市 栃木県
この町は、13世紀からの鋳物や大正期の佐野縮など絹織物による富の蓄積のおかげで町並には大きな家が多く、戦時中に露地に打水などがなされていて、どの家もどの辻も町民による手入れがよくゆきとどいていた。軒下などで遊んでいるこどももまことに子柄がよく、自分がこの子らの将来のために死ぬなら多少の意味があると思ったりした。
司馬遼太郎先生は、太平洋戦争の一時期を、戦車連隊の一員として佐野で過ごされました。晩年の著作「この国のかたち」の中で、その時の体験が歴史を想い国を考える端緒になったと書かれています。記念碑は、この本のあとがきで触れられている佐野に関係する部分を紹介し、先生の遺徳を偲びつつ佐野の発展と平和を祈念するために建立しました。