追分道しるべ・石地蔵 東本町 太田市 群馬県
太田市指定重要文化財 道分けの道Lるべ・石地蔵  
所在地 太田市東本町4ー3  指定年月日 昭和51年(1976)11月16日
 この道しるべは日光例幣使道と古河道との分岐点、新島の追分け(例幣使道側はエ場敷地となっている)にある。享和3年(1803)に太田宿の永竹幸助義信により百番供養を兼ねて建立されたものである。百春供養は西国33番と坂東33番に秩父34番の札所を加えた百番信仰によるものである。裏面には次の和歌がある。
    ひとすしに 出れハ安き法の旅 今なすわさそ 後の世の夢
 道しるべの左側には追分け地蔵と呼ばれる地蔵菩薩があり、今でも子供を庇護する地蔵として厚い信仰の対象となっている。 日光例幣使道は、日光東照宮の大祭(4月15日〜17日)に際し、幣帛(神前に奉納するもの)を供するため例年京都の朝廷から派遣された奉幣使が通過したことから呼称された街道である。日光例幣使の派遣は正保3年(1646)から慶応3年(1867)まで絶えることなく統いた。奉幣使は原則として、往路は中山道・日光例幣使道、復路は日光道・東海道を通過した。 例幣使道中は中山道倉賀野宿(高崎市)から分かれ、玉村・五料・柴・木崎・太田・八木・梁田・天明・犬伏・富田・栃木・合戦場を経て金崎富(栃木県上都賀郡西方村)に至る13宿、23里11町(92km)ほどの道程である。金崎宿の次の楡木宿で壬生道に入り、今市宿で日光道に合流した。明和元年(1764)には道中奉行管轄となり五街道に準ずるようになった。    平成2年(1990)3月31日       太田市教育委員会