女塚薬師道しるべ 境女塚 伊勢崎市 群馬県
女塚は中世に新田義季の領地で新田荘女塚郷と称した。塔は天明8年(1788)に建てられ庚申塔を兼ねている。 「右薬師湯泉道」とあるのはこれより東方5百米に字湯殿の地に元鉱泉があり女塚薬師鉱泉と称した。この鉱泉は胃腸・神経痛・リューマチ等に効くといわれ開湯当時は湯治客でかなり賑わった。中世に鎌倉幕府を開き武家政権を確立した源頼朝は吾妻1193年4月の条に那須野遊狩の途中旧世良田村の新用館に叔父の義重(義重は頼朝が伊豆に平氏討伐の旗上をした際に参戦しなかった為に両者の間は一時不和であったが上野守護職の安達盛長の仲介により和解した)を訪れたとありその折にこの鉱泉に入湯したと伝えられ、字湯殿の地名はこれより字名が付けられたという。湯元には薬師地蔵が祀られている。また、「左太田・日光」とあるのは旧例幣使街道の道筋に建てられていたことが推定される。 女塚地内の法楽寺境内にあったものを昭和55年秋・地区の人達によって再びここに移されたものである。  昭和56年1月  伊勢崎市教育委員会