日光例幣使街道境宿本陣跡付近 境 伊勢崎市 群馬県
織間本陣跡
旧例幣使街道、境宿織間本陣は寛文2年(1662)に伊勢崎藩士鶴田弥太夫氏の家を当地に移築したもので、わら葺平家建ての主家と片袖付門構えは古い建築様式をそのまま残し旧本陣として堺町の町指定史跡であった。(中略)本陣は例幣使街道を上下する諸大名をはじめ、とくに毎年四月京都より下向する例幣使や公卿門跡衆の休泊を主とした。そのとき門前に掲げた関札と呼ばれた泊まり札が現在も50余札保存されており、当時の面影を残している。 寛政3年(1791)4月12日小林一茶は江戸から信州へ行く途中、織間本陣の家主である俳人専車を訪ねたが不在で会うことができなかったので―― 時鳥我が身ばかりに降る雨か――の一句を残して立ち去ったことが一茶の帰郷日記に書きとめられている。  昭和55年11月  堺町教育委員会