この台地は、玉松台という。黒松が立ち並び、一帯は良好な自然環境が形成され県緑地保全地域に指定されている。北西の隅に、ひときわ目立つ老松があり、これが玉松台という名前の由来となった名松「玉松」である。樹齢約300年といわれるこの松は、その昔、加賀、越中、越後などの船が陸奥湾を航行する際の目標にしたとも、参勤交代の松前公がこの松の下で休んだとも伝えられている。また、明治37年に日露戦争開戦のとき、当時の在郷軍人68名がこの台上に最後の集会を持ち「動員の大命も旦夕に迫った。我等一たび戦場に出でては固より一死以て国恩に報ゆるの念あるのみである。たとえ身は満州シベリヤの露と消えても魂魄は再び此処に帰り永く護国の鬼となるであろう」と誓い、3日間の奉仕作業て墓地工事をしたという。今では、平和祈念の地として、行楽と憩いの場として親しまれている。
玉松台 瀬辺地山田 蓬田村 東津軽郡 青森県