千人塚由来
今を去る200余年の昔、津軽の国はかってない大飢饉に見舞われた。いわく天明の大飢饉である。「油川沿革誌」には、天明4年(1784)の頃に、去年から今年までこの町の餓死した人300人。食を求めて流浪に出、居なくなった人400人。遺体があちこちの道ばたに三々五々横たわっていても手をかける者がいない。見かねた代官は、浄満寺裏の畑に大きな穴を掘らせ、ここへ懇ろに埋葬させたーと書かれている。埋葬の導師は浄満寺19代良諦廣運大和尚。埋葬を指揮した代官は戸田興左衛門と佐藤林之丞の両名であった。以来ここを千人塚と名づけ、代々住職が読経を捧げてきた。  油川連合町会建立
淨満寺・千人塚 油川大浜 青森市 青森県