鳴子坂橋の名称由来
 今をさかのぽること約1000年前、平安から鎌倉時代にかけてこの付近には、先人が集落をなして生活しており、一帯は鳴子館と言われていた。この地はまた、旧奥州街道上の野辺地の入□にあたっており、ここの坂を鳴子館坂と呼んでいた。享和年間に書かれた『東案内記』には、「長者久保を過ぎ、段々坂を下り行けば、程なく鳴子館の大坂あり。これを鳴子館坂という。下り詰めて小坂を少し上りまた下り詰めれば、右に蒼前の社あり、・・・・ 」と記述がある。 また、藩制時代は、幕府や藩の要人が当地を訪れたときには、まちの主だった人たちが、この付近まで送迎に出たことが記録されている。このような故事にちなみ、「鳴子」を、ふるさとの歴史として後世に伝えることもふくめて、この橋を鳴子坂橋と命名したものである。  平成3年3月 野辺地町
鳴子坂 坊ノ塚 野辺地町 上北郡 青森県