大型堀立柱建物
 この復元建物は、縄文時代の中期後半(約4.500年〜4,000年前)のものです。専門家の見解は、大きく建物説と非建物説に分かれています。目的や用途も祭殿や宗数的な施設、物見櫓、灯台、魚の見張り台、天文や季節の基準を知るための施設などとする見方がありますが、現段階ではよく分かっておらず、三内丸山遺跡の大きな謎のひとつとなっています。この遺構は、柱穴が3個ずつ2列に配置され、柱の間隔は4.2mと規則的です。柱の根入れは2mから2.5mで、柱穴は入念に埋め戻され、埋土が固く締まっていました。また、出土した柱はクリ材で、その直径は最大で103cmもあり、根元を焼き焦がしてありました。また、柱が内側に若于傾いていたという可能性もあり、そうだとすれば、構造物の安定を保つために柱が上部で連結されていたと想定されます。青森県では、これらのことから建物説に立ち、想定復元することにしました。上部構造は、県内に現存するクリの巨木の幹高を参考に、高さを約15mとし、縄文尺(35cm)の倍数で、柱間と同じ4.2m間隔の3層の床を設けました。 屋根についでは、その構造や材料についてさらに専門的に検討する必要があることから復元せず、今後の検討に委ねることにしました。屋根があったとすればどんな構造か想像をふくらませてみてください。復元には、8本の柱にロシア産のクリ、その他の部材も県内産のクリを使用しました。遺跡の全体像や縄文人の生活様式などのさらなる解明が進み目的や用途の想定ができれば、その実像に迫ることができるのではないかと考えています。したがって、今後の学術的な調査、研究によっては、この復元案を見直すことにしています。
三内丸山遺跡 三内丸山 青森市 青森県