調査の経緯       
三内丸山遺跡は、江戸時代から知られている遺跡で、これまで慶応義塾大学、青森市教育委員会、青森県教育委員会によって発掘調査が行われています。平成4年から6年にかけて、県総合運動公園拡張整備事業に伴う野球場建設予定地内の発掘調査を行ってきましたが、縄文時代前期から中期(約5,500年前〜約4、000年前)にかけての多くの貴重な遺構群や多量の遺物が発見され、日本考古学史上例を見ない巨大な縄文時代集落であることが明らかになりました。このため、青森県では、野球場等の建設を中止するとともに周辺を含めた約38haを保存し活用していくことを決定しました。

遺跡の概要
野球場建設予定地約50,000uの発掘調査では、約580棟の竪穴住居跡、10数棟の大型竪穴住居跡、100棟を超える掘立柱建物跡、多量の遺物が廃棄された泥炭層、約1,000年にもわたって土器や土などが捨てられ続けて小山のようになった盛土遺構、さらには約800基にもおよぶ子供の墓などか発見されています。これらの様々な遺構は、幾つかのまとまりをもっていることから、土地の利用について何らかの約束事があったと考えられます。また、遺跡からは日本最古級の漆器、カゴなどの編物、敷物のほか、各種の骨角器、獣骨、魚骨、植物種子等も多量に出土しており、今後、縄文文化を解明する上で極めて貴重な遺跡と評価されています。   青森県教育委員会
三内丸山遺跡 三内丸山 青森市 青森県