天明の飢饉(1782〜1785)は、歴史に残る4大凶作(元禄・宝暦・天明・天保)の一つで、平内でもたくさんの人が餓死し、家も半数(357戸)が空き家となったそうです。この飢饉で亡くなった人達を供養するために、天明7年(1787)、東福寺11代住職が建てたものといわれる。 *この道路は、昔の奥州街道です。  昭和63年5月  平内町教育委員会
旧奥州街道・天明飢饉供養塔 小湊愛宕 平内町 東津軽郡 青森県