真登地(まとぢ)一里塚 洞内後野 十和田市 青森県
この一里塚は「ニモリ」の俗称で親しまれてきたが、昭和30年代に用水路建設のため西側の塚を失っている。ここから北約4.6kmにある県史跡「池ノ平の一里塚」とともに、歴史を今に伝える貴重な史跡である。(中略)延宝7年(1679)、幕府は奥州街道の松並木の途切れを検分し、松苗を植え付けさせている。 南部藩では寛永年間(1624〜1643)に領内の里程元を盛岡鍛冶町に定めて、各街道をここから起算し、一里塚に槻(つき)を植えさせた。くだって明歴3年(1657)、領内の諸街道を改修し、松を植えて並木街道にしている。当地方では一里塚にエゾエノキを植え、夏には木陰を秋にはその果実を、旅人に与えて疲れと飢えを癒したのである。 土地所有者佐々木勇三氏  十和田市教育委員会