一本木一里塚跡 白上 相坂 十和田市 青森県
前略  この一本木の一里塚奥州街道に伴うもので、南部藩の手により築かれたとされ、寛文5年(1665)の古絵図には「古もり」として記載されています。現在残っているのは1基のみで、この東側に対となる塚があったとされますが、国道4号を建設する際に破壊されたといわれています。 この周辺は俗に「一本木」と呼ばれていますが、一里塚に植えられた欅(けやき)の木がその由来となっています。また、「古塚平」という地名があったとも言い伝えられています。現在は宅地化が進んでいますが、昔は人家もなく一面林や畑がひろがる淋しい場所でした。市内の奥州街道沿いには伝法寺、真登地、池ノ平にも一里塚が現存しており、この一本木の一里塚とともにかつての奥州街道の姿を偲ばせています。    土地所有者 大池神社  十和田市教育委員会