菊女の供養塔 根岸 五戸町 三戸郡 青森県
菊女の供養塔には次のように刻まれている。
「奉安置阿弥陀如来台駆 元禄三庚午五月吉日、木村秀晴妻菊女」
木村秀晴は当時の五戸代官であり、その代官に菊という愛人がいた。代官自ら水田開拓に必要な高度の技術を学ぶため盛岡に出張していたが、帰って見ると愛人が身籠もっており子供が生まれるのを待たず処刑したという。胎児の墓は舘稲荷神社境内に、菊の墓は八幡宮旧堂跡に建てた。その墓の施主が菊女、つまり「本妻と愛人」は同じ「菊」だった。本妻の愛人に同情して墓を建てたと伝えられる。正面には釈迦如来像があり、京都で木村秀晴の妻菊が元禄6年(1693)春に作らせ翌7年7月6日開眼供養を行ったと蓮台に刻まれている。この供養等建立には高雲寺4世、鉄窓三牛和尚が出席したとある。   五戸町教育委員会