三戸城は馬淵川と熊原川との合流点に位置し、標高約130m、広さ約40万u(10万坪)  築城年代は永禄年間(1558〜70)24代南部晴政時代である。26代南部信直は、天正18年(1590)小田原に参陣、その功により豊臣秀吉より南部七郡(糠部・岩手・紫波・稗貫和賀・閉伊・鹿角)領有の公認を受け、これにより南部氏の近世の大名としての基礎は万全となった。 南方に領土が広がり、三戸の位置は領内中央でなくなり 慶長2年(1597)盛岡に築城、漸次移住、寛永10年(1633)より、盛岡城だけを居城と定め、三戸城は御古城と呼ばれ、城代の統治と代わった。
歴史民族資料館 梅内城ノ下 三戸町 三戸郡 青森県