二条天皇の時代、永暦元年(1160)に、比叡の恵心僧都源心和尚の法弟円証僧都の一門にある円忍僧都が、打ち続く兵乱に京洛をきらって遁れ、金田一村野々上部落の寺沢に来て一庵を結ぶ。(中略)27世までは天台宗であったが28代良満になってから浄土宗に改宗。中興の祖良満は、京都知恩院山内からはるばる金田一までやってきて願海院の荒廃と零落を悲しみ里の人々らに再建を呼びかけ協力を得て新しく寺を建立した。良満上人は、近郷の城主諸侯に非常に恩恵を受け、また八戸辺からもたくさんの人々が詣でたという。また京都知恩院の直来寺となったので奥州随一の別格の寺である。

願海庵 金田一水梨  二戸市 岩手県