四戸城は上館、中館、下館の三つの曲輪からなっています。南部氏の一族とされる四戸氏の居城でしたが、四戸氏がいつ頃から当地に居住したのかは良くわかっていません。戦国時代末期、城主四戸宗泰の妹は、九戸城主、九戸政実の妻で、また四戸宗泰の妻は九戸政実の叔母でした。四戸氏は、二戸地方で絶大な勢力を持っていた九戸氏とは親しい間柄でありました。しかし、天正19年(1591)の九戸の戦いを前に、四戸宗元(宗泰の嫡子で当時城主)は弟金次郎の流言のため秋田へ逃れ、病死しました。そのため四戸城は九戸方に対する南部信直方の居城となり、九戸の戦いの後、廃城となりました。

四戸城跡 金田一舘  二戸市 岩手県