安永乙未夏(1775年)、当時の福岡通代官大巻勇肋によって建立された追分石。 「右もりおか左白とり」と刻まれています。元々は右手の坂を下った所にあり、白鳥道と奥州道中の分岐点に建つ道標でした。 奥州道中は、奥州白河から津軽外ケ浜に至る八十九次(「次」は宿駅のこと)で、盛岡を過ぎると「山又山の果てしなき地」だったそうです。 この石は現在でいう標識として、街道を往来した旅人の道中手掛かりの役目を果たしていました。また右手坂の先には、奥州糠部33所観音霊場巡礼の第28番札所にかぞえられる岩谷観音堂かありますので、ご参詣ください。

奥州道中の追分石 福岡落久保  二戸市 岩手県