ニ戸市指定有形文化財(建造物) 
安政5(1858)年、荻の小倉謙作(鯤堂)が当地を訪れた際、和漢学の講学を目的として、呑香稲荷神社祠官小保内孫陸と設立したのが会輔社である。さらに万延元(1860)年水戸の吉田房五郎(弗堂)が福岡を訪れた際、社規を創り役員を指名、会輔社としての組織を整えた。(中略) 明治11(1878)年、定身を中心とする会輔社社員は私学校である会輔社学校を設立し、近代社会学を必修科目にとりいれた。その活動は当地において青少年の育成に甚大な影響をもたらLたことはいうまでもなく、後年県下に先んじて福岡中学校の設立を見るに至ったのも、教育、政治、産業の各分野にわたって幾多の偉人を排出したのも、その礎をここ会舗社にみることができる。 二戸市教育委員会

 槻蔭舎(会輔社学舎) 福岡五日町  二戸市 岩手県