一戸町内を南北に縦断する奥州街道は江戸時代初期に幹線道路として整備されました。正式には道中奉行の管轄の下野白沢(栃木県)から陸奥白河(福島県)までが奥州街道でしたが、一般的には白河以北も奥州街道の延長ととらえられていました。(中略) 「野中一里塚」は盛岡から北に13番目の一里塚です。道路を拡幅したときに塚は壊され現在はその姿を見ることはできませんが、江戸時代末期に書かれた漆戸茂樹著「北奥路程記」には、野中一里塚の北側に、穴久保へ向かう道と姉帯へ向かう通が描かれており、この辺りが交通の要所だったことをうかがわせます。 塚のあったとされる場所には現在、馬頭観世音の石碑が建てられています。 平成20年3月25日 一戸町教育委員会

 野中一里塚跡 小鳥谷野中 一戸町 二戸郡 岩手県