川底の道 所在地一戸町小鳥谷字高屋敷
奥州街道中もっとも険しい道であったと伝えられているのが、笹目子と高屋敷を結ぶ川底の道でした。街道は小繋川を見下ろす左岸にあり、急峻な斜面に沿って進む上り下りの厳しい難所となっています。 明治9年(1876)、明治天皇が東北を巡幸した時の記録によると、「高間舘坂」、「赤羽根坂」、「舅転の険」と呼ばれる難所が連続するこの区間は、「屈曲登降極まりなく」、「御巡幸中未だかって見ない険路であった」と記されています。 残念ながら街道は、明治24年(1892)盛岡−青森間で運行を開始した東北本線の開設工事によ、て分断され、区間を通して通行することはできなくなってしまいました。しかし現在まで大規模な道路工事が行われなかったため、今となっては資重な区間となっています。 平成20年3月25日  一戸町教育委員会
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 旧道出口 小鳥谷高屋敷  一戸町 二戸郡 岩手県