天台宗小繋山 長楽寺 延命地蔵堂 別当天台宗長楽寺 千 蔵 坊
当寺縁起は桓武天皇の御代、坂上田村麻呂が征夷大将軍として、大同2年(807)に東夷鎮撫祈願のため、当地に地蔵堂を建立した事に始まります。 また、嘉祥年中(850年頃)に慈覚大師が諸国巡錫の途上に当地に至りて、六尺五寸の延命地蔵尊像を彫刻し授けたと伝えられております。南部藩主入国以来神仏を尊崇すること厚く、二十九代重信公になって各地に堂を建立され、寛文9年(1669)には御免他の証を下賜、、寺運益々隆盛をきわめておりました。 然しながら、当寺は何度かの火災に羅リ、伽藍、寺の記録等焼失することとなりました。 再三の火災に偶するも地蔵尊だけは不思議にもその都度難を免れ、一層霊験あらたかであることを世間の人が知ることとなり、盛岡以北旧松前藩より鹿角に至るまで信者の参拝が断えませんでした。江戸勤番往路の際は本陣となってもおりました。 このような当寺も明治改革・大正4年小繋の大火にて寺は全焼し、わずかに地蔵堂を残すのみとなっております。

   長楽寺 延命地蔵堂 小繋 一戸町 二戸郡 岩手県