大巻秀詮著『邦内郷村志』や漆戸茂樹著『北奥路程記』など江戸時代の文書に見られる一里塚は一戸町内で7ケ所あり、現在そのうちの5ケ所が現存しています。火行・小繋間は難所「ヨノ坂」を通る道で、途中には「小繋一里塚」が築かれています。 「塚平一里塚」は、谷筋を通る「ヨノ坂」の路線とは異なり、山の稜線を通る道筋に築かれています。「塚平一里塚」のことが書かれた記録が見つかっていないため、いつ築造され、いつ利用されてたものか明らかになっていませんが、前後にある一里塚からの距離はほぼ4キロメートルと、江戸時代に築かれた一里塚と同じ間隔であることが分かります。一戸町内には、この他にも「笹目子・上女鹿沢一里塚」、「穴久保・下女鹿沢一里塚」という記録に残されていないニつの一里塚があり、こちらも利用されていた時期は明らかでありませんが、合計で8ケ所奥州街道に関連した一里塚が現存し、全国的に見ても貴重な区間となっています。平成20年3月25日  一戸町教育委員会

  塚平一里塚 小繋東田子 一戸町 二戸郡 岩手県