西塚
岩手郡岩手町御堂第3地割

東塚
二戸郡一戸町上家向
江戸時代初期、参勤交代のため大名行列が行われるようになり、交通施設の整備は急速に進みました。幹線道路として、江戸の日本橋を起点とする東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道の、いわゆる五街道はよく知られています。宿場が発達し、街道の両側には役4kmごとに一里塚が造られ、旅はたいへんしやすくなってゆきました。 幕府の道中奉行が管轄する奥州街道は江戸から白河(福島県)まででした、道は仙台・盛岡を経て津軽半島の三厩まで続き、これも奥州街道といわれました。 御堂・馬羽松一里塚は、その奥州街道に造られたもので、盛岡から北に十番目の一里塚です。塚は二つとも残っており、東塚は直径が11.2m、高さは2.8m、西塚(岩手町)は、直径が12.2m、高さは1.6mあります。 明治時代になって、近代的な、幅の広い道路を造るとき、一里塚はその邪魔になるため壊されてしまいました。一戸町に一里塚か多く残っているのは、奥州街道とは別なところに国道四号線か造られたためです。平成6年3月31日 一戸町教育委員会

  御堂・馬羽松(まはまつ)一里塚 一戸町・岩手町 岩手県