この沼宮内代官所跡は慶安4年(1651)から明治2年(1869)までの219年間、南部盛岡藩の沼宮内通り(39カ村)代官所のおかれていたところで、北岩手郡の中心であった。南部盛岡藩の領地は10力郡(岩手、紫波、稗貫、和賀、閉伊、九戸、二戸(岩手県)、鹿角(秋田県)、三戸、北(青森県))の広い地域に、当初(正保、慶安年開)47代官がおかれたが、享保20年(1735)に藩内33通り(行政区)に25代官所がおかれた。その一つが、ここ沼宮内代官所で、昔時から枢要の地とされてきた。   (中略)ここの代官所には、御役屋(役所)1棟、御蔵(倉庫)3棟(105坪、100坪、27坪)があり、米、大豆等の年貢米を収能していたところである。 岩手町教育委員会

  代官所跡 沼宮内第9地割 岩手町 岩手郡 岩手県