川口城跡由来
川口城跡は代々川口氏の居城で「豊城」とも言う。古くは、エゾ館と思われる。川口氏築城の規模、構造は明確ではないが、西に北上川、南に古館川の崖地、北に丹藤川を受け、また飲料水は東の山すそから隠し水を引き、天然の地を利用した往古の山城である。 記録によれば、その城主は「川村四郎秀清文治5年(1189)頼朝公より、岩手郡の内下給、川口古舘に居住、命によリ在名に改む」とある。川ロ氏の祖で子孫の居城である。 近世の南部藩史に依れば、応永18年(1411)川口与十郎秀利、南部守行公(13代)に拝謁(領地安堵)す。「川口左近秀長、信直公(26代)より旧地により四百石賜う」天正19年(1591)九戸の乱に参陣。文録元年(1592)城破却となる。 川ロ与十郎秀寛、寛文5年(1665)八戸南部藩主直房公に従い八戸に移り四百石賜う。後家老となる。 昭和54年3月15日  岩手町教育委員会

川口城跡 岩手町川口第17地割 岩手郡 岩手県