本名・袴田トミ。川口小学校三年生の頃から夢に描いた宝塚音楽歌劇学校に入学、家族の生活を支えながら、校長小林一三のもと、自らを磨き、舞台に映画に幅広い演技をもって全国にファンを広げ、大女優の道を歩む。 昭和20年、総てが戦争にかりたてられる中、丸山定夫を隊長とする移動劇団「さくら隊」に加わリ各地を慰問巡演中8月6日広島の宿舎に於て原爆に遭遇。32回目の誕生日だった。瞬時の閃光に崩れ、燃え上がる家財の間から、自分に気付くと一面、生き地獄・・・その中を逃れのがれて2日後、神戸の知人宅にたどリ着く。 8月17日付母への手紙(絶筆)に「本当の健康にたちかえる日も近いでしよう。そうしたら元気でもりもりやります。やりぬきます。これからこそ日本国民文化の上にというよりも、日本の立ち上がる気力を養うためのお役に立たなければなりません。」とある。しかし原爆症の為急変21日知友らの見守る中、32歳の短い生涯を終える。 終戦50周年、あらためて女優・園井恵子を偲び、戦争なき世界の実現・文化の興隆・人間の尊厳が守り貫かれることを祈念しここに全国の有志とともに顕彰の像を設置する。 1996(平成8)年8月21日 園井恵子を顕彰する会

女優・園井恵子の像 岩手町川口第9地割 岩手郡 岩手県