高松公園由来
高松の池は今から380余年前盛岡城下創建の際最初に造られた堤である。盛岡城築城以前は上田沼と称され、上中下の三段になっていた小沼には雑魚が多く、冬から春にかけて鶴・雁・鴨などが群棲し、また、芹・じゆん菜・蓮が生茂る湿源地になっていた。 南部藩主27代利直公になってこの沼に堤防を築き、池の水は上田一帯の水田化の用水源として利用された。  明治22年盛岡市が市制施行となると上田堤の公園化が進められ同39年には、日露戦争記念事業として市民の寄付によって吉野桜千数百本が植えられ、盛岡市の桜の名所となった。 大正の中頃、当時の市長北田親氏によって更に公園の築庭整備がなされ、名称を『高松の池』と改められた。 昭和24年に「市立高松公園」に指定され、更に平成2年4月「日本のさくら名所100選」に選ばれ四季を通じて市民の憩いの景勝地となっている。  盛岡観光コンベンション協会

 上田堤(高松の池) 高松1丁目 盛岡市 岩手県