城下盛岡町名由来  八日町、四ツ家町
当町は文化9年(1812)本町と改名された京町の西隣りで、本町は毎月28日、この町は8日が市日であった。本町の市日に準じて、他町の市日に比して、上方雑貨の商いの多いのが目立っていたという。八日町の北に四ツ家町があり、上田への出□、赤川橋の手前に四ツ家御門があった。またこの付近には、北に入る袋丁があり、谷小路という侍屋敷があった。この地域に四ツ家天主教会聖堂ができたのは明治13年。フランスからアンジェラスの鐘を贈られて鐘楼が増築されたのは明治33年(1900)。以来今日まで、毎日祈りの時を告げる鐘の音は、市民に親しまれている。 四ツ家の地蔵尊が現在地に遷座されたのは大正元年 (1912)であるが、以前は聖寿寺門前繩手八丁の田園の中にあって、田中の地蔵さんの名で親しまれていた。  昭和51年11月  盛岡市

 四ツ家門跡 本町通3丁目  盛岡市 岩手県