夕顔瀬橋の歴史
夕顔瀬橋の歴史は、南部藩主南部重直の時代、明暦2年(1656)まで遡る。明和2年(1765)には、南部藩士大向伊織により、川の中央に中島と橋塚を築き、両岸から土橋が架けられたもので、関東以北に比類のない名橋と伝えられている。その後も、幾多の架け替えを繰り返し、平成4年まで利用されてきた橋は、内務省事業として昭和15年10月に完成し、戦時下において戦車も通れるという画期的な橋であった。その重厚なデザインは、盛岡の象徴である清流北上川と秀峰岩手山と相まって、杜の都を代表する景観として、多くの市民に親しまれてきた。ここに、平成5年2月の盛岡雫石アルペンスキー世界選手権大会を契機として、惜しまれながらも半世紀にわたる歴史をとじることになった。 以下略  平成5年1月  岩手県

 岩手山・北上川・夕顔瀬橋  盛岡市 岩手県