城下盛岡町名由来   鉈屋町(なたやちよう)
むかし、京都から豪商鉈屋長清が盛岡にやってきて、釶屋山菩提院という寺を建てたのが町名の起りである。むかしの鉈屋町には、 水主(かこ)町、十文字、下町、お鷹道などがあった。水主というのは、北上川の水辺の舟や、舟橋の仕事をしていた。 また、殿さまの飼っている鶴に食べさせる小ざかなをとる役もしていた。鉈屋町は、宮古万面、釜石万面、金山の大茅生(おおがゆ)などからくる人の、はじめて盛岡に入る一本道だったので、ここでいろいろの買物ができることから、多くの大小の商売屋があった。大慈清水や清龍水は有名だが、この湧水は、冬は湯気が立つほど温かいので、神子田、仙北町方面から野菜をもって来て洗い、馬町の青物市場に出す人が多かった。 昭和51年11月 盛岡市

旧遠野街道 家並 鉈屋町3  盛岡市 岩手県