この地は、市内寺の下祇蛇寺の末寺宗龍寺のあったところで、境内に案置されている石像は十六羅漢像と五智如来像(大日如来、釈迦如来、多宝如来、阿弥陀如来、阿閦如来)の合計21体で丸彫りの巨石群として有名である。 南部藩の四大飢饉といわれる、元禄、宝暦、天明、天保の大凶作のとき多くの餓死者が出たが、その供養のために祇蛇寺十四世、天然和尚がこの石像の建設を発願し、南部領内から供養喜捨を得て、その浄財で天保8年(1837)10月工事に着手した。 そして紫波郡飯岡山から石材を切り出し、藩の御用職人が3年間を要して、あら刻みをおこない、仙北町、青物町付近の若者達の奉仕で北上川を舟で運び、更に川原町、鉈屋町を経て宗龍寺に送り入れ、最後の仕上げをしたという。この運搬だけで半年を要したといわれ起工から13年目の嘉永2年(1849)6月、天然和尚の愛弟子にあたる仙北町長松寺十三世泰恵和尚のときにようやく竣工をみるに至った。 宗龍寺は、明治維新後、祇蛇寺に合併されて廃寺となったが、明治17年(1884)11月の大火で灰になり、現在は21体のこの石像群を残すのみとなったのである。

十六羅漢 茶畑2丁目  盛岡市 岩手県