上:盛岡方面 左が旧街道 右は国道4号 右手に明治天皇小次遺跡
下:左は国道4号 右は稲荷街道 二股に川久保一里塚
(前略) 川久保一里塚は盛岡城下の鍛冶町(現紺屋町)の元標から南へ1里の距離にあり、さらに江戸方向への見前一里塚へと続きます。当地から南西方向に分岐する稲荷街道は盛岡藩13代藩主南部利済公が天保5(1834)年に志和稲荷神社参詣のために日光街道を模して整備した街道です。道筋は川久保一里塚を起点とし、現在の矢巾町赤林〜広宮沢〜柴波町上松本を経由して志和稲荷神社に至る約16kmの行程で、左右に土手を築き、松並木を植え、赤林・和味(矢巾町)・松本(柴波町)には一里塚も築かれました。川久保周辺は奥州街道から稲荷街道への分岐点となったため、赤い大鳥居や茶屋が建てられ、賑わいを見せていたといわれています。  平成15年9月  盛岡市教育委員会

川久保X字交差点 南仙北3丁目  盛岡市 岩手県