歴史のロマン香る樋爪館(ひづめのたち)
樋爪館は、平泉初代藤原清衡の四男清網がここに派遣され、その子、太郎俊衝、五郎季衡らが居を構えて周辺を支配したとされている。 館跡は赤石小学校付近にあり、周辺に堀の跡や平泉と同時期の住居や井戸、倉庫などの跡が確認され、かわらけなどが出土している。箱清水という地名や松原という屋号などはこうした館の空間を想像させる。また、薬師堂(現薬師神社)や大荘厳寺、中島の観音堂などがあったという。寺の跡にはその後供養のために建てられた古碑群が残されている。 五郎沼は、以前は西に広がる広大な沼であったが、季衝か堤防を築くなど潅漑用水池にしたとも考えられる。季衝は好んでこの沼を泳いだという。 館は西万に奥大道、東に北上川と東街道が南北に走る交通の要衝にあり軍事と物流の拠点でもあった。北上川の舟場は平泉館とを結ぶ北のターミナルといえる。こうした交通路を経てこの地から産出される砂金や馬、漆、米などの産物か送られ、平泉仏教王国の造営を支えたと考えられる。ちなみに「ひづめ」はアイヌ語でピッツ・ムィ(河原の港)が転化したものである。 文治5年(1189年)9月4日源頼朝が平泉を攻めて紫波の陣ケ岡に布陣した。この時、樋爪氏一族は館に火を放ち北へ逃亡した。頼朝の裁定で太郎俊衝が藤原氏家臣中ただひとり許され、この地に戻って寺の住職となったという。その他の一族はすべて関東方面に流罪となった。 頼朝により陣ケ岡に晒された平泉4代藤原泰衡の首をはずし、その首桶に蓮の実を入れて金色堂に納めた人物がいる。それかできたのは太郎俊衡以外に考えられない。八百年の時を経て平泉に咲いた蓮は、平成14年、樋爪館跡に里帰りして古代の歴史ロマンを今に語り伝えている。
 この看板は紫波町商工会女性部創立40周年記念事業の助成を受けて設置したものです。   平成20年12月  紫波町平泉関連史跡協議会

薬師神社 南日詰箱清水  紫波町 紫波郡 岩手県