右:享保の追分碑 碑の高さ48cm、幅63cm 厚さ26cm
安山岩系の自然石で、花崗岩の台座に据えられています。字が彫られているのは正面だけで、「享保甲辰九年」「右ハはやつ祢みち」「左ハもりおかみち」「九月」と、4行になっています。盛岡へ向かう奥州道中(いわゆる「奥州街道」現国道4号)から、早池峰への道の分れを示した「道しるべ」として道路の東側に建てられていたものが、国道拡張によって西側に移されたものです。今の状態では旅人の目に入りにくい高さですから、塚の上に建てられていたものでしょう。この享保9年)1724)の「追分の碑」は、早池峰信仰をする人達への約280年前の「道しるべ」で、旧花巻市地域内の「追分の碑」では元禄10年(1697)の碑についで二番目に古い、貴重な有形文化財です。

左:明治の追分碑 碑の高さ 120cm 幅25cmpx四面  台座の高さ 25cm 幅48cmx四面
御影石系の四角柱で、上部は寄せ棟状になっており、方形の台座に据えられています。 四面に刻字されており、東正面に「土佛観世音道」「永平西堂可睡穆山書」、西裏面に「明治廿三庚寅年九月十七日」「大賀寺三十世祖量圓総宗代」、南側面に「壱里弐十弐町」、北側面に発起人十名の名前が刻まれています。 「土仏観世音」は、石鳥谷大興寺にあり、古くから土仏観世音信仰が盛んでした。この碑は、盛岡へ向う「奥州道中(いわゆる「奥川街道」現国道四号)」から、大興寺への観音参りの道「土仏街道」の分かれを示した「道しるべ」でした。 今は、「土仏街道」は消えていますが、この明治23年(1890)の「追分の碑」は、盛んだった土仏観世音信仰とその道筋を示す約120年前の「道しるべ」で、貴重な有形文化財です。 平成19年3月 花巻市教育委員会
  

追分碑 二枚橋町大通り2丁目 花巻市 岩手県