江曽一里塚の築造年代は南部第28代藩主重直公時代の明暦4年(1658)頃と考定せられる。慶長15年頃当地方に初めて新たに開通したという当時の奥州道中(一名奥州街道)は、旧国道、弾正下りとも称し、この西約1kmの所を南北に通じている。その奥州街道は当時の藩主南部重直公が領内の通行を便にするため屈曲を直し、勾配を緩めるなど改修を施した。その際当地方は、花巻北端で東に分岐し、柴波郡南端に至る新街道の切替が施行せられた。これが現在のこの国道4号線でその年代は明暦4年頃と考証せられ、この江曽一里塚も当時の築造と思考する。この一里塚は測量の結果略々築造当時の原形を止めているが、伝えられる頂上の植樹や、西側の一基は何時の時代にか消滅して現在はない。此所の地名は塚根という字名として現在に至る。 以下略 昭和45年3月20日 石鳥谷町教育委員会

江曽一里塚 石鳥谷町江曽 花巻市 岩手県